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西洋史学の先駆者たち



戦前の西洋史学史の話。日本には欧米の翻訳や紹介、あるいは日本に当てはめる作業を「研究」と称しているだけのように見られる、ありていに言えばモノマネ的な学問分野が人文・社会科学では多いのではないか。ただ分野上どうしてもオリジナルの研究より概説や紹介の方が有益になる学問もある。西洋史はその際たるものではなかったか。欧米のトップクラスに勝てるはずがない。欧米人だって日本人以上に優れた日本史研究なんてそうそうないわけだから。今でこそネットがあるが、それにしたって欧州にある教会の10世紀の信者籍台帳が、ネットで5分でダウンロードできます的なものではないだろう。現地に行って、交渉して何より解読しないといけない。基盤になる文化も違う。畳に座るとか、逆に日曜は教会に行って賛美歌を歌うとか。

西洋史学を通して、世界最新の史学研究のスタイルをつかむというのがむしろ西洋史学に求められてきたような感じはする。実際、本書を読むと、明治維新から十数年たって、ドイツからランケの謦咳に直に接した孫弟子を史学教師として呼び、当時最新だったランケ流の実証史学を直輸入した。アナール学派を紹介した堀米庸三や二宮宏之、ウォーラーステインの世界システム論を紹介した川北稔などもそうなのかもしれない。本書は洋書を翻案していた黎明期日本の西洋史研究が、どう学問として一本立ちしたのかを描いていて面白い。

最初期、東大のドイツ人お雇い教師リースは、日欧交流史の研究を弟子たちに勧めた。歴史のない国の大学生が、欧州の一次史料を使ったガチの欧州史研究なんてできないだろうし、したって現地人に叶うはずがない。「交流史なら日本の史料も役立つから第一人者になれるし、史学者としてのリテラシーも体得する」という理屈。帝大生も自分たちが先駆者なので、嫌とはいえず、やりたくもない学問に精を出し、東洋史や東南アジア史にも手を広げていく。慶應や一橋では新潮流である経済史の研究が盛んになる。大正デモクラシーを受けて、イタリア・ルネサンスや文化史を大類伸が紹介する。戦時色が濃くなると、「帝国主義的西洋からの東洋の解放」あるいは「民族の意志、国家の使命」的な威勢のいい意見を史学者が時局講演することもあった。「大東亜戦争の世界史的意義」とか、だんだんカルトな世界に突入し、学問的な要素が破綻して終戦を迎える。

著者が孫弟子に当たる上原専録が日本で始めて本格的な史料批判に基づくガチな欧州史研究を始めたことに多くの比重が割かれているが、戦前の西洋史学の全体的な傾向が把握できる。商科大学たる一橋でなぜ歴史、ことに西洋史が異様に盛んなのか理解できなかったが、本書を読み、19世紀末の福田徳三の経済史研究に始まることがわかった。ま、今でもガチで研究者になるなら、本書に挙がっているような学校に所属しないとダメなんだろうなあ。
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