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「紙の新聞がいらない」なら、いる人のために後継メディアを作ってやってくれという話

 時代の最先端を行くキュレーションメディア「NewsPicks」の「紙の新聞はやっぱりなくなる?」で、なぜこのタイトルになるか理解できないのだが、「like」上位のピッカー諸氏は予想通り「新聞いらねー」の大合唱だった。当然だろう。新聞・テレビネタは韓国・中国ネタ並みのおいしいコンテンツで、実は新聞がなくなると一番困るのは、燃料がなくなるネットなんじゃないかと思ったり。いや日経の原題通り、新聞とネットを組み合わせて情報収集すればいいじゃんと思うんだけど……。

 ピッカー諸兄にも大人気の池上彰が「新聞読んでます」という話だったので、裏切られた感が強いんだろうなあ。とりわけブチ切れさせたのは下記の一節のようだった。 

米国では地方新聞が次々に倒産した結果、議会や行政の問題点を追及する記者がいなくなり、汚職が増えてしまったという指摘があります。選挙の投票率も下がりました。新聞は民主主義のインフラの役割を果たしている……

 「新聞消滅大国アメリカ (幻冬舎新書)」や、「アメリカ・メディア・ウォーズ ジャーナリズムの現在地 (講談社現代新書)」や、(「記者が消えた街」で検索)でこの話の詳細が紹介されている。ケンタッキー・ポスト廃刊やカリフォルニア州ベル市の話。自治体の予算や議事録をチェックするのは本来自治体議員の役割だ。しかし、議員の読みは党派的なバイアスがあるし、そもそも議員のほとんどは読んでない。関心があれば自分で読めば良いが、そんな暇な人はそういない。定期的に読んで、問題点を知らせてくれる人が必要ではないか。
 例の号泣県議は、神戸新聞が政務活動費報告を読んで初めてわかった。ネットはメディアの情報を拡散するのは素晴らしいが、情報を生むことはなかなかできない。ネットメディアに潤沢な寄付があって、やっていける世の中になればなあと思うんだけど。

 一番人気の、グロービスの社長のコメントが象徴的。

1)紙の新聞が無くなっても、記者が活動の場をネットに移行すればジャーナリズムはなくならない。紙が無くなっても、ネット上で情報が溢れている状態だ。

2)「民主主義のインフラは新聞」ではない。民主主義のインフラは、少数の記者・デスクが言論を支配する「独裁的」な新聞ではなくて、誰でも発言できる民主的なメディアであるソーシャルメディアやキュレーションサイトの方がふさわしい。

3)米国で新聞紙が無くなったから汚職が蔓延したと言うが、具体性や数字が全くなく根拠が曖昧だ。

 1だが、ネットで議会・行政をウォッチする団体が、米国でも出てこないから問題になっている。
 2は、「誰でも発言でき」ても、誰も読まなきゃ意味がない。ピッカーの意見はNewsPicksを読んでる人しか読めないし、ローカルニュースなんて号泣県議ほどインパクトがないと、誰もコメントしないから見向きもされない。
 そして、「記者が消えた街」や上記の本でも紹介されているプリンストン大学の研究によると、新聞がない街で現職の当選率が上がる理由として、「地元メディアがないと地元の選挙で立候補者の実績・人となりを知る機会がなく、判断材料がない。そのため、選挙に関心を持たなくなり、投票率も新人の立候補も減る。判決が報じられないので司法もたるむ」ということだった。
 これは理解できる。今年の北海道議選は3分の1が無投票だった。札幌市内もあるけど、過疎地に行くほど無投票。かと思えば、例の「アイヌいない」市議はちゃんと落選してるしね。関心があれば選別できる。夕張市長選なんか、前回は財政破綻で全国の注目を浴び、鬼籍に入られた羽柴秀吉が出張ったりして、4人が立候補したのに、今回は市長はもちろん市議選まで無投票。夕張の財政破綻なんて、住民以外「あの街は今」状態だからなあ。自分の自治体が関心を持たれてるというのは、有権者の政治意識を確実に高める。ネットメディアが関心を持って続々報道してくれればいいんだが。
 3はとりあえず、「記者が消えた街」なり「ケンタッキーポスト廃刊」なりでググれと。

ほかにも

ネットメディアが汚職を糾弾すればいいだけ。

離島や山村に張り付いて、行政や議会を継続的に報道すればいいんだけど。

今ほどの数は要らないし経営も難しいのでは?

経営が難しくて、従業員がカツカツでもいいけど、媒体の数が多ければ監視の目も多いし、色んな角度から課題も見えて、選挙への関心も高まるわな。

 大都会東京に住んでる人は、ネット上に充実の東京情報が出てくるから、それで十分だ。だが、大樹町や赤平市の情報はネットを探してもなかなか出てこない。こういう所で北海道新聞はもちろんながら、地元紙のの「十勝毎日」「プレス空知」がなくなると、誰が死んだとか、港にどれだけ水揚げがあったとか、地元の誰かが全国大会に出場したとか、市役所に誰かが陳情したとか、市道が拡張するとか……地元情報が全くのブラックアウト状態で困るじゃん、って。
 
 「記者が消えた街」でも書かれているように、景気に左右されないローカル報道の専門NPO組織が全国津々浦々の自治体にあれば、問題ない。あるいは、SNSやキュレーションサイトは「誰でも発言できる民主的なメディア」なんだから、芦別や芽室の、行政から街の話題までこまめにアップしてやればいいじゃん。
 
 はっきり言えば新聞は田舎のメディアなんだろう。たぶん。港区とか品川、渋谷とかに住んでると当然、「うわーだっさー、時代遅れ、情弱」と見えてしまう。情弱メディアは切り捨て当然であると。そういえば、グンマーが舞台の時代遅れ感満載な小説というか映画があって、私は2回も映画見てしまった。「全権デスクヒャッハー」とかやってるのネット住民が見たら、「これがグンマー最先端のメディアか」と思ってしまったりして。

 新聞は世界的に限界だろう。惜しまれつつ、いや、ネット民に石を投げられた上で速やかに絶滅しバトンを誰かに渡すべきである。だが、渡し手がいない。ピッカー諸兄は六本木や恵比寿、白金に住んでる金持ちばっかりなんだろうし、お前らがいらないのはわかったから、その潤沢なマネーで資金をを用立て、グンマーその他僻地の人間のために、絶滅する新聞の受け皿を用意してやってくれ。ピッカー諸氏には、ほかの手段があるから新聞がいらないんだろうが、その機能を新聞にしか頼れない人は、ピッカーの見てないどこかにいる。
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