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生殖医療はヒトを幸せにするのか 生命倫理から考える (光文社新書)




医療の手を加えて子どもを作る技術が、とんでもない速さで進んでいる。100年前まで子どもの誕生は、「男女の性行為で受精してそのまま出産」しかなかったが、今や着床前診断や代理母出産、精子卵子提供など生殖技術ができたせいで、色々な「生まれ方」が存在する。だが、技術の進歩に法律も倫理感も追い付いていない。医療の助けで子どもを持ち喜ぶ両親もいれば、「子どもは授かり物なのに……」と思う人もいる。「子どもを産みたい」という熱望は今も昔も変わらない。どのような生まれ方なら倫理的に許されるのか、具体的な事例を元に考える。

不妊で苦しむ親、「不自然な出産」を嫌う人。本書が両者をつなぐために重視するのは「これから生まれる子どもの権利」だ。生殖医療の現場では、精子や卵子のドナー、出生前診断や男女産み分けなど、親が命を選別する。驚くことに、今や着床前の胚の段階でも遺伝子の障害が分かる。胎児を流すほど心は傷まないだろうが、受精卵の診断が普通になると、スクリーニングされた「健康な人」だけが許容される社会になる。親が「元気な子がほしい」と思うのは当然だが、「この受精卵は遺伝病があるからダメ」でいいのか。選ばれた子なら親子の愛情は無条件ではなくなる気がする。子どもだって「障害ができたら捨てられるかも」と思うかもしれない。余談だが、顕微受精では、精子をつまんで卵子に注入する際、医師が精子を選んでいるそうで、すごい技術ではある。

生殖医療に関わる子どもの権利でもう一つ、重い課題がある。精子提供は開始当初、不妊夫婦にとって夢の技術だった。でも、その子は成長するにつれ自分の出自の半分は誰か分からず、ショックを受ける。しかも、精子提供で生まれたことを親は教えてくれないことが多い。「騙された」「自分の半分は闇の中」と自然な出産との違いに苦しむ人が多いという。また、「遺伝上の親」「実の親」「子宮の親」など家族関係もややこしい。法律的にも、子どもの心情的にも面倒ではある。

事情もあるし、人それぞれで倫理に正解はない。どこかでコンセンサスに頼らざるをえない。でも親も含め、生殖に関わる人は自分なりの倫理観を持ち、どこかで善悪の線引きを求められる。技術を無批判に取り込めば、世界はいずれカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」の描くようなディストピアになってしまう。これから生殖医療をしようという人には、まだ見ぬ子の権利を本書で知ることは、子どものためになるはずだ。生殖医療で生まれる子どもこそ、まさにその当事者であるにもかかわらず、治療中に自分の意見を表明できない。だからこそ、「妊娠した、よかった」で終わらず、子どもの気持ちを考えてほしいのだ、と。

本書で取り上げる問題は、一般向けの読者を想定し、いずれも映画やドラマ、小説、新聞記事などから紹介していて、場面が頭に浮かびやすい。本書は新しい技術をやや慎重視するコンサバティブな立ち位置ではあるが、「産みたい親」の心情にもよく配慮していてバランスが取れている。また読者に「子どもの権利」という、誰もが基準にできるしっかりした考え方を提示しているのもいい。好著である。
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