うなんね新書レビュー ホーム » スポンサー広告 » 一般書 » 京都の平熱

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

京都の平熱





鷲田清一と京都をバスで一周りする本。大学入試頻出の論者の本って超観念的な小論か教訓的な話が多くて、著者も頻出作家ということもあって、あまり手に取らなかった。けど、本書はピンク映画館、飲み屋と、京都の路地裏をキョロキョロ見て回りながらの楽しい旅。著者の文章は、入試問題文でも、ピンク映画館の解説でも変わらず、柔らかである。「よう来はったな」と手招きされて、街を案内されてる感じだ。この206番バスというのは、京都駅発着で、主な観光地をぐるっと廻るので、非常に有名だという。

うどんは「とにかく、のびきったら染まったらだめだ」と食や文化へのこだわりを語りながらも、あるべき街と人とのかかわりを論じ始める。これが面白い。ニュータウンには、大木も寺社も場末もない。大木は遠い過去の世界へ、寺社は死の世界へ、場末は不幸な人が逃げこむ。そんなムダな物はニュータウンでは存在を認められない、と。だが、そうしたものは、この世界の「外」へ通じる裂け目だという。

裂け目がたくさんあるから、この世界で息が詰まると裂け目を通じて、別の世界へ避難できる。普通の街なら変人扱いされる「極端」な人も存在を認められる。京都の本当の良さって、寺社仏閣や古い建物じゃあなく、そうした「あっちの世界」へ続く襞や闇、孔がたくさんある所。京都は現代的で便利ではない。お寺さんに行かないでも、ひょいと路地を覗けば、マージナルな世界がぽっかり口を開けている。人生の避難場所だ。妖しい京都。だから魅力があるのではないか、と。でも「裂け目」は京都人じゃないと見えない。京都人の知り合いが一番のガイド、という結論に至る。

かと思うと、ホテル飯が給食に出る同立付属小を「愚劣」、タクシーを待たせて繁華街で買い物する修学旅行生の話に「子どもが大人をお金で動かすなんて……」と甘やかしいに厳しい。確かに知らない街を味わうのは歩くべきだ。名所だけ回っても、ガイドブックの写真の再確認でしかなく、何の発見もない。「歩いてばったり何かに出会うのが一番」。そうだ。

もちろん普通の案内もあるし、おいしそうな店もたくさん出てくる。でも、鷲田清一の洒脱で深いエッセイの書き味。京都の「裂け目」を探しに行きたくなる。
スポンサーサイト
コメント
非公開コメント

トラックバック

http://unanne.blog41.fc2.com/tb.php/124-9b0f467e

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。